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石川善樹「ウェルビーイングの鍵は料理にあった!?」

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石川善樹「ウェルビーイングの鍵は料理にあった!?」

Introduction:

近年、日本でも注目が集まっている「ウェルビーイング(Well-being)」という言葉、概念がある。16世紀のイタリア語「ベネッセレ」が語源で、「よく在る」という意味をあらわす。これを高めるにはいろいろなアプローチがあるが、その中の一つとして、「食」、中でも「料理」への意識がより高まっている。それにはコロナ禍以降のステイホームによる自炊の増加、働き方や生き方を見直す機運の高まりなどが背景にある。世の中が変わりつつある今、私たちの心と体を豊かにする「料理」の可能性について、ウェルビーイングや「より良く生きる」といったテーマをさまざまな角度から研究している、予防医学研究者の石川善樹さんに聞いた。

Profile:

石川善樹 Yoshiki Ishikawa

予防医学研究者・医学博士

1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)を取得。「人がよく生きる(ウェルビーイング)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行っている。公益財団法人Well-being for Planet Earth代表理事。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。

公式サイト

コロナ禍でも幸福度が上がったのは、実は、料理を始めた人だった。

新型コロナウイルスが発生して、人々の生活は大きく変わった。仕事でもプライベートでも外出する機会がめっきり減って、多くの時間を家で過ごすようになった。ところが、それで幸福度が下がったかというと、必ずしもそうではない人たちがいた。

BRUTUS(以下B)

コロナ禍で、人々の意識が変わったということですか?

石川善樹(以下石川)

家にいる時間が長くなって、皆が、時間の過ごし方を考え直したということだと思います。自分はどう過ごしたいのか、どうしたら心地よくいられるのか、それには何を、どう変えていけばいいのか、と。そこで、ウェルビーイングが良好な人は、どういう人だろうと、調査をしてみたら、それが“料理をするようになった人”だったんですよ。しかも、お昼ご飯!

B

お昼ごはんって、ふだんはなかなか作る機会がないですから。やはり、自粛期間中に料理に目覚めた人が多いということでしょうか。せっかく時間があるんだから、手間暇かけて料理を作ってみよう、と。

石川

そうなんです。特に男性が、より料理をするようになったんです。実は、世界中どこを探しても、女性より男性の方が料理をする頻度が高い国って、一つもない。ただ、その男女格差にはかなりバラつきがあって、格差が小さいほど、つまり、男性が料理をする国ほど、幸福度が高いというデータもあるんです。例えば、北欧の国々がそうですが、理由の一つは、男性が料理をするようになったことで、女性が自分のために使える時間が増えたためです。もちろん一概には言えませんが、男性は自分の時間を優先して、家族との時間を後回しにする傾向があるのでしょうか。そして、男性は男性で、料理する楽しさに気づいた。料理って、最初から最後まで一人で作業できるものですよね。実は、そういう仕事は珍しくて、ほとんどの仕事は部分しか任されないから、どうもやった気がしない。その点、料理は“ひと仕事したな”っていう爽快感が得られるんですね。反面、他の人に作ってもらった料理を味わうという体験もやはり得難いものですよね。料理は作る人だけじゃなく、それを食べた人も幸福感を得られるという、波及効果もあるのではないでしょうか。

米IT企業で料理プログラムが大人気。自炊をすると、自然と健康になる

料理をすると、幸福度が上がるのは、なぜなのか。心や体にどんな効用があるのか。石川さんいわく、実は、コロナ禍以前から、アメリカのIT企業などでは、社員に料理を推奨していたという。例えば、米Google社では、社内に本格的なキッチンを設け、食材を調達するところから、料理を作って、家族と一緒に食べるところまでを組み込んだ料理プログラムを用意。社員にとても好評なのだそうだ。

B

米Google社をはじめ、アメリカの企業が料理のプログラムを取り入れ始めたのは、なぜですか?

石川

Google社は、社員に世界一健康であってほしいと願っているんです。ところが、いくらヘルシーなお菓子を手に取りやすい場所に置いても、なかなか手に取らない。その奥にあるジャンキーなものばかりに手を伸ばしてしまうという問題があったんです。“これは、ヘルシーな食べ物を提供するだけではダメだ。では料理をつくるところから始めたらどうだろうか”ということになって。料理プログラムを始めてみたところ、あっという間に大人気になって、実際に健康診断の結果も良くなったんです。自分で料理をするようになると、自ずと材料や栄養を意識するようになって、食べるものもコントロールできるようになるので、自然と健康になるんですよ。

B

実際に自分で料理をするようになると、ふだん食べているものにどれだけどんなものが入っているかが分かってくるので、食べ物の質や量も考えるようになるし、体にも気を遣うようになります。

石川

それに、買い物して、調理して、片づけしてって、すごく時間がかかることですよね。それを外食やテイクアウトで済ませてしまうと、すぐに終わってしまうから、時間が余る。じゃあ、その時間に何をしているかというと、ほとんどの人が、携帯を見てるか、ゲームしてるか、例えば、アメリカの場合だと、増えたのが、テレビを観る時間だったんですよ。

B

たしかに。

石川

しかも、その間、絶対、飲んだり、食べたりしてしまう。平安時代の貴族なんかは、暇な時間の使い方がうまかったんですよ、月を見て、ほろほろ泣いたり、蹴鞠を蹴ったりね。でも、現代の僕らは、そういう時間の使い方がへたで、暇な時間を有効に使える人は少ない。テレビだって、ほんとうに観たくて観ているのかといえば、そうではない。ほかにやることがないから、観ているだけなんです。それで、ついつい、飲んだり食べたりしてしまうから、カロリー過多になってしまう。実は、僕らのいまの食生活って、徳川家康よりも贅沢なんですよ。栄養価も高いし、旨いし、文句のつけようがない。500円の牛丼で、“家康超え”ですから、すごい時代だなぁと思うんですけど。でも、これからは、ただ出されたものを食べるのではなく、健康のことを考えて自分で作ってみることが、さらに求められるんじゃないかと思います。

料理をすると、アイデアが閃き、仕事のパフォーマンスも上がる。

料理をすると、健康になるだけでなく、脳にも良い影響があると、石川さんは言う。仕事の時間を削られてしまうと思いがちだが、むしろ、その逆。仕事から離れて、無心で手を動かして、料理をすることによって、無意識に考えが整理され、良いアイデアが閃くのだそうだ。

B

食材を考えて、買い物に行って、下ごしらえをして……。ご飯を作るために動いている時間に考えていることの方が、家のソファに寝転がって考えていることより、いいように感じます。無意識にいろいろ考えているんでしょうか。

石川

実は、動くって、すごく大事なことなんです。例えば、動物の中でもホヤ貝などは、ここに棲み着くって決めて、そこを動かなくなると、自分の脳を食べちゃうんですよ。脳って、そもそも動くから必要なのであって、動かないんだったら、必要ないんですよ。だから、脳を使うためにも、動いた方がいい。その方が、アイデアも閃きやすい。料理中に無心で手を動かしている時も、脳は無意識下でちゃんと考えてくれているんです。“考えなきゃ”って、意識して考えてしまうと、どうしても視野が狭くなってしまう。無意識下で考えてもらった方が、発想が豊かになるんです。例えば、行き詰まって散歩することがありますよね。散歩の時にはいいアイデアが思いつかなくても、戻ってきた時に、ふっと閃いたりする。アイデアって、バーッと動いて、ふっとリラックスした時に、ポンと出てくることが多い。それは、散歩や料理をしている時にも、無意識下でちゃんと考えを整理してくれているからなんですね。料理に限らずですが、人は体を動かすことでやる気も生まれてくる。やる気を出してから動くわけじゃない。だから、料理でもなんでも、まず体を動かした方がいいんです。

ミシュランの星付きフレンチのシェフが主宰する料理教室にも通い、料理の腕を磨いている石川さん。

食に関わる時間を増やすと、心はもっと豊かになる。

常に時間に追われがちな現代人は、料理も時短にばかりこだわり、それ自体を楽しめなくなっているのではないか、と石川さんは考える。実は、フライパンが普及し、食材を炒めるという調理法が一般的になったのは、戦後、それも昭和30年代以降のこと。それまでの日本は、短時間で仕上がる炒め物ではなく、時間をかけて煮込むという調理法が主流だった。家にいる時間が増えたいまは、時間に追われない、日本に脈々と続く“煮る”という調理法を見直すいい機会だという。

石川

昔は、かまどに薪をくべて、料理をしていたじゃないですか。その薪も、半年ぐらい置いて乾燥させる必要があるから、割ってすぐには使えない。つまり、半年後に料理をするために、今日薪を割るわけです。その薪は、60年、80年と年月を経て太くなったものを切って作る。そもそも日本人は、そういうゆったりとした自然のリズムに合わせて、料理をして、生きてきたんですね。

B

自然との共存も、食事が中心だったんですね。

石川

ところが、フライパンの登場で、料理も時間に追われる“炒める”という調理法が主流になってしまった。フライパンを使って料理をすると、忙しいでしょう。強火で炒めることが多いから、放っておけない。その点、じっくり時間をかけて火を入れる煮物は、放っておいてもいいので、その間に別のこともできる。本を読んだり、とか。例えば、昔ながらの“でこん汁(大根汁)”という料理があるんです。料理といっても、囲炉裏に鍋をかけて、そこに大根を入れて、水を張って、ちょろちょろ火を入れていくだけ。放っておけばいいから、その間、農作業ができる。で、匂いがしてくると、“あ、煮えたな”ってわかる。しかも、農作業をしていたその時間で、素材本来の味が出てくる。煮物という調理法は、時間の使い方がとても豊かなんです。人間って、最初は強い刺激に反応するんだけど、だんだんと、そういう弱い刺激にも反応できるようになる。そうすると、人生が楽しくなる。大根一つとっても、上(首)の方と、下(尻尾)の方では味が違う。それがわかってくると、料理ももっと楽しくなる。実際、煮込みをする人は、増えているのではないでしょうか。

B

時間に追われるように、強い刺激を求めてきた人たちの意識が、この1年で変わってきたということですか。

石川

それもありますが、そもそも世界の人口が中年化してきていて、強い刺激に疲れているんじゃないですか。味噌汁旨いな、風呂はいいな、っていう方が気持ち良くなってきている。“ウェルビーイングは、喜怒哀楽の総和である”、という言葉があるんです。これまでは強い、ポジティブな刺激ばかりを良しとしてきたけれど、それだけじゃない、侘び寂びもいいものだよね、みたいな(笑)。例えば、キャンプに行くとしたら、朝、鳥の鳴き声で目が覚めて、川で食器を洗って、火をおこして、ご飯を炊いて。午後になったら、魚を釣って、暗くなったら寝るというような毎日ですよね。そういう生活をしていると、食べることが、一日の中でのメインになってくる。僕らはそれを“一日の中にハイライトがある”って表現するんです。それに向けて一日を過ごすということなんですが、現代人の生活って、いろいろなことを詰め込みすぎて、すべてがハイライトみたいになって、メリハリがなくなってしまった。だから、達成感が得られないんです。料理してご飯を食べることが中心になっていると、達成感がありますし、それは、とても豊かな時間の使い方だと思うんです。昔ながらの“でこん汁(大根汁)”という料理があるんです。料理といっても、囲炉裏に鍋をかけて、そこに大根を入れて、水を張って、ちょろちょろ火を入れていくだけ。放っておけばいいから、その間、農作業ができる。で、匂いがしてくると、“あ、煮えたな”ってわかる。しかも、農作業をしていたその時間で、素材本来の味が出てくる。煮物という調理法は、時間の使い方がとても豊かなんです。

B

料理をすると、体や脳にいい影響があるだけでなく、気持ちも豊かになるということですね。

石川

以前、将来に不安が少ない人って、どういう人なんだろうって調べたことがあるんですが、資産があろうが、なかろうが、将来への不安って、大なり小なり誰もが持っている。どれだけ資産があっても、不安が消えるわけじゃない。だけど、家庭菜園をしたり、自炊している人は、将来に対する不安がすごく少ないことがわかったんです。それは、たぶん、食べることができれば、どうやっても生きていけるという自信が生まれるからだと思うんですよ。

B

米や野菜といった食材から作るということですよね?

石川

農作物を作ると、結構、たくさん収穫できるので、周りの人に配るんですよ。そうすると、今度はその人たちから、別のものが届くようになって、交換し始める。そういうふうにしていると食べ物に困らないから、何があっても大丈夫だろう、と思えるようになるみたいです。私、今年からね、米を600キロ、作るんですよ。福岡県の糸島で。それって、やろうと思えば、皆ができることですよね。私、今年からね、米を600キロ、作るんですよ。福岡県の糸島で。地元の方に“一緒にやりませんか”と誘っていただい、一緒に作ることになり、もうすぐ、田植えが始まるんです。農作物を作る、これはおすすめです。料理だけでなく、家庭菜園までやったら、人生、これでOKだと思えるようになるといいなと願ってます。

世の中が変わるときは、料理をしよう。

料理と幸福度の世界的調査、社員のウェルビーイングを促す米IT企業の料理プログラム、石川氏が取り組みはじめた農業など、料理がもたらす新しい価値を石川氏は話してくれた。さらに見えてきたのは「時代が大きく変わるとき、人は身近で日常的なことに立ち返り、忘れかけていたものを確かめ、その生活や思考を整えよう」とすること。中でも「食」はもっとも根源的な営みであり、人のこころとからだ、そしてライフスタイルを形作るものだ。自分のために、家族のために、今日はどんな食材でどんな料理を作ってみようか。と考える。自分の手を動かして、作ることの新鮮さ、面白さを体感する。そして、できあがった料理をいただく。一人で食べるときは、自分を自分で労わるように。家族で食べるときは話し、笑い、互いを愛おしむように。

これまでの社会が「結果」や「消費」、いわば「贅沢」を追い求めてきたとのだとしたら、これからの私たちは、「過程」や「つながり」を味わう、いわば「潤沢」というものが新たな豊かさや幸福になるのかもしれない。そのための第一歩として、今、改めて、「料理」というものに向き合ってみるのはどうだろうか。