「食べること」を大切にしたいと思ってはいても、家事に仕事に、日々追われていると、料理や食事の時間を面倒に感じたり、ただ“こなす”だけになってしまったりすることがあります。とりわけ子育て中の世代は、そうした悩みや見えないプレッシャーを抱えている人が多いかもしれません。
今回「AJINOMOTO PARK」編集部が訪ねたのは、京都を拠点に活動する中東篤志さん。
代々料亭を営む家系に生まれ、幼い頃から料理や食が身近な存在だったという中東さん。その原体験から、現在は自身が営む飲食店「そ/s/kawahigashi」(京都市左京区)をはじめ、カリナリーディレクターとして国内外で日本食の文化や魅力を発信するさまざまな活動を行っています。
そんな中東さんが、自身の料理や食への向き合い方のルーツと語るのが「家庭でのおいしい・うれしいの記憶」。子どもの頃の体験から、ご自身のお子さんと実践する食卓でのコミュニケーションまで、そこには作る・食べる時間を豊かにするヒントがあふれていました。

インタビューした人
カリナリーディレクター
中東 篤志さん
京都市出身。父であり、日本料理の名店「草喰 なかひがし」店主、中東久雄氏のもとで12歳から料理を学び始めたのを機に、自然と食の道を志す。高校卒業後に渡米。バスフィッシングの選手活動を経て、ニューヨークの精進料理店「嘉日」で副料理長兼GMを務めた後、2015年に「One Rice One Soup」を設立。料理人の枠にとどまらず、食まわりのさまざまな企画・プロデュースを手掛け、日本食の文化や魅力を国内外で発信中。
- 「助かるわ、ありがとう!」母と過ごした台所時間
- 子ども扱いされなかったことで、「作る・考える」主体性が芽生えた
- 食育に必要なのは、親の「根気」
- 一番身近な人との「おいしいね」の共感
01
「助かるわ、ありがとう!」母と過ごした台所時間
料理人一家に生まれ育ったと聞くと、きっと特別な食の英才教育を受けてこられたのだろうと、勝手なイメージを膨らませていた我々取材班。ところが、聞けばむしろその逆で、ご両親からは「料理をしなさい、料理人になりなさい」など、一度も言われたことがないそう。

中東さん「そもそも父は店があるので、子どもの頃は家で一緒に過ごすことがほとんどありませんでした。なので、最初の食体験として覚えているのは母親との時間。もともと音楽の教師だった母からは、二人の兄も僕も、家の中のいろんな手伝いを“当番”として与えられていました。
その第一弾が、『2歳までに卵を割る』。自分で覚えていた訳ではなくて、うちの子が1歳半になる時、母親から電話で『そろそろ卵割らしたか?』と(笑)。それで当時の話を聞いて、じゃあ試しにやってみるかと、まだ歩き始めたばかりの子どもの前で、コン、コン、パカっと卵を割って見せたんです。本人にやらせてみると、案の定、最初の方はグチャっと潰れて失敗。でも何度かやらせるうちにできるようになったんですよね。ちゃんと2歳前にはきれいに割れるようになりました」

自身も幼稚園の頃には、海苔入りのスクランブルエッグを自分で作り、ごはんにのせて食べていたのだそう。小学生に上がると、いかをさばいたりあじを三枚におろしたりと、さらに台所でできることが増えていった中東さん。そんな時、母親からかけられていた言葉は、「助かるわ、ありがとう!」だったといいます。
中東さん「今でもそうですが、母はよく『つっ立ってんと、あれしてこれして』って言うんですよ。幼い頃から僕ら子どもたちに“仕事を振る”ような感覚でしたね。料理の味付けなんかも、『みりん入れて』『どのくらい?』『トポトポや、そう、はいストップOK!』みたいな(笑)。
そうやって、失敗しようがまずはやらせてくれた。母は子どもの僕を、台所で一緒に料理を作る“いちパートナー”として見てくれていたんやと思います。そして成功したら『できたなあ! 助かったわ〜ありがとう』って。そういった一つひとつの成功体験が、『料理って楽しい』という気持ちや、今でいう自己肯定感に繋がっていったんやと思います」

02
子ども扱いされなかったことで、
「作る・考える」主体性が芽生えた
そんな中東さんがさらに料理や食への興味を深めたのは、小学6年生、12歳の時。ちょうど父親が独立して店を構えた時期でした。

中東さん「開店したばかりで人手が少なかったこともあり、父が『店に来て、皿洗い手伝え』と。兄二人は、当時中3、高3とどちらも受験生だったので、僕が学校終わりに店に通うようになりました。父が料理人として働く姿は見たことあったけど、仕事場に入るのはその時が初めて。最初は『料理人の世界は厳しいし怖いな……』と思っていました。
それでも続けるうちに、間近で職人たちの仕事ぶりを見たり、バックヤードからのれん越しに、父が振る舞う料理をお客さんがおいしそうに食べて笑顔で帰っていく姿が目に入るようになったり、『料理人っていいなあ、おもしろい仕事なのかも』と思うようになりました」

母親との台所時間、料理人である父親の姿を見ながら、自然と料理の技術を身につけていった中東さん。すでに台所へ立って料理をすることは、何ら特別なことではなく当たり前の日常だったそう。中学生になった時には家の晩ご飯担当として、一人でスーパーで買い物をして、レシピ本のメニューを参考にしながら自分なりのアレンジ料理を作るまでに。

中東さん「一つ覚えているメニューは、唐揚げに赤かぶをすりおろしたあんかけをかけたもの。同級生の友だちにふる舞ったら、『なんやこれうまい! 』って驚かれました(笑)。
あとは、父も母も『とりあえず食べてみ?』が口癖だったので、たとえばクセの強いチーズでも何でも、僕が興味を持ったら食べさせてくれました。そういう経験もいろんな食材や味を知るいい機会だったなと思います。今振り返ると、本当にいい意味でどの場面でも子ども扱いを一切されなかったことで、自分で考える主体性が持てたし、大人と対等でいられるようでうれしかったですね」
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食育に必要なのは、親の「根気」
こうした自身の幼少期の経験は今、中東さんの小学3年生と5歳になる二人の子どもの食育にも強く影響しているといいます。

中東さん「冒頭の子どもに卵を割らせた話に戻りますが、卵がグチャッと潰れてしまった時、失敗としてそこでやめさせるんじゃなくて、成功するまで見守るのが大事やと思うんですよね。台所が汚れたら拭けばいいし、潰れたら殻を取り除いてスクランブルエッグにすればいい。僕も妻もその手間は惜しみません。自分で割った卵がこういう形になって食べられるんだと気づくと、その後は自然と卵を使う料理の時に『卵割るか~~?』って声を掛けると、自然と台所に来るようになり、コンコン、パカ。そうやって料理をするのが日常の一部になっていくんだと思います。
常々思うのは、食育に大切なのって親側の『根気』ちゃうかなと。大怪我をしないようにだけは見守って、あとは子どもの意思のまま、時間がかかってもやらしてみる。父と母がしてくれたように、子どもだからこれは危ない、できない、食べられないだろうって、親の判断で食に触れる機会を取り上げたり省略したりしないように、気をつけています」


続けてもう一つ、中東さんが子どもとのコミュニケーションで大切にしていると話すのが、「なんで?」と、常に自分で“考える”きっかけを持たせること。
中東さん「僕は普段から子どもの質問には、さらに疑問形で返すようにしています。数年前、長男が年長くらいの時に『お父さん、とんかつが食べたい!』と言ってきたので、僕は『とんかつって何やと思う?』と返しました。中身は肉だろうか魚だろうか、周りについているのは何だろう、どんな調理方法なのかと、会話をしながら考えて、一緒に作ってみるんです。
さらに、食材の配置や左右の手の動かし方で、手を汚さずスムーズにパン粉がつけられるやり方を見せると、『なるほど、こうすればうまくいくんや』と、料理には効率があることにも自然に気づいていく。そんなふうに、『なんで?』から始まる食への興味や探究心って、料理の知恵や心を育むためにすごく大切なことやと思うんですよね」

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一番身近な人との「おいしいね」の共感
普段の台所や食卓には、子どもの可能性や選択肢を広げられるきっかけが無数にあることを、自身の経験や子どもたちの成長から実感しているという中東さん。最後に、今日から始められる大切なアクションを教えてくれました。

中東さん「おいしいなあ!って声に出して食べることです。一番身近な人がそうやって食べる姿を見たら、おいしい・うれしい記憶が脳と心に刻まれるはず。レストランでも家庭でも、作る人が自信なさげにしていたら、もしかしたらまずいのかも? と不安になりますよね。うちの父はいつも『どや、うまいやろ!なあ!』と、強引にでも一回『おいしい』と言わすんです(笑)。でも、そうすると不思議だけど本当に『おいしい』記憶になる。それって結構大事なことだと思っています。
もし、そこでどうしてもおいしいと思えなかったら、また“なんで?”を考えて、どうやったらおいしくなるのかと思考を巡らせてみると、食の経験値が上がるんじゃないかな」

子どもの食育はもとより、私たち大人にとっても日々の料理や食事との向き合い方を見つめ直すきっかけをくれた中東さんのお話。台所や食卓での小さな「なんで?」に立ち止まるところから、まずは始めてみませんか。