時間がかかることから敬遠されることも多かった「煮込み」料理。それが今、コロナ禍で生まれた新たな価値観によって見直されようとしています。
代表的な煮込み料理のひとつであるカレー。スパイス料理の魅力を発信している一条もんこさんと、医学博士として「人がよりよく生きる(ウェルビーイング)とはなにか」を研究している石川善樹さんとのお話の中から、煮込み料理がわたしたちの満足や幸福とどう関わっていくのかのヒントを探ります!
インタビューした人
スパイス料理研究家
一条 もんこさん
新潟県出身。さまざまなカレーの名店で実践的な経験を積み、現在はスパイスとカレーの料理教室2「Spice Life」を主宰。予約の取れないカレー教室と話題に。著書『おうちで楽しむスパイス料理とカレー』ほか。
インタビューした人
予防医学研究者/医学博士
石川 善樹さん
“東京大学医学部健康科学科卒業後、米国ハーバード大学公衆衛生大学院修了。予防医学研究者、医学博士として、「人がよりよく生きる(ウェルビーイング)とはなにか」をテーマに研究を行う。 “
- “煮込み”料理の魅力は、作る楽しさを共有できること
- 煮込む時間は、食べる人のことを想う時間
- コロナ禍で気づいた、ベーシックな営みの大切さ
- カレーはフューチャーレシピ!?
- 煮込み料理のコツは、足すことではなく引き出すこと
- 不安なときこそ、カレーを煮込んで
01“煮込み”料理の魅力は、作る楽しさを共有できること
さっそくはじまった今回の対談。コロナ禍をきっかけにキャンプをするようになったという石川さんが、カレーの思い出を語ってくださいました。
石川さん ぼくは、家でもキャンプ道具でカレーを作るんですよ。子どもと一緒に楽しみながら作れるのがキャンプ道具のいいところですね。
一条さん カレーを作るのに細かい作業はいらないので、お子さんと一緒に作るのにもぴったりですね!
石川さん そうなんです。ぼくがよく作るのは、にんにくと玉ねぎを炒めて、野菜を適当にくわえ、最後にルーを入れるだけの本当にシンプルなカレー。いつも子どもがルーを入れたがるんですよ(笑)。
一条さん ルーが溶けていく様子が見ていて楽しいのかもしれませんね。お子さんからお年寄りまで、みんなが作ることを楽しめるのがカレーという料理のよいところだと思っているんです。
みんなで作るところから楽しさを共有できるのはカレーをはじめとした煮込み料理全体の利点なのかなと思います。
02煮込む時間は、食べる人のことを想う時間
かねてより「ウェルビーイング」と「煮込み料理」の相性のよさを指摘している石川さん。その理由とは?
石川さん そもそも「ウェルビーイング」とは、「どういう時間の使い方が人を幸せな気持ちにするのか」ということなんです。とても興味深いことに、自炊をする人ほどウェルビーイング度が高いことがわかっています。自炊はすごくいい時間の使い方なんですよ。
炒め料理は火力が強く、味を足したりフライパンを振ったりとやることが多い。しかもそれらを短い調理時間のなかでこなす必要がありますよね。
一方で煮込み料理は、材料を入れた鍋を弱火にかけて、ほぼ放っておけばいい。煮込んでいるあいだの時間をゆっくり使うことができます。
一条さん すごくわかります!私はカレーを煮込んでいる時間にいつも考えごとをするんです。別のことを考えるのではなく、「どのタイミングで火を止めて、どのタイミングで提供しようかな」といった、細かいことを逆算しています。
それは、自分のことよりも、食べる人のことを想う時間なんです。仕事に日々追われていても、煮込んでいる時間だけは食べる人のことを考えることができる。その時間には大きな幸福感があると思っています。
石川さん 今の日本には、時短を優先するような考え方があると思います。手早く炒めることにももちろん利点はありますが、コトコト煮込むことの大切さが見失われているんじゃないかと思うことはありますね。
03コロナ禍で気づいた、ベーシックな営みの大切さ
コロナ禍をきっかけに、人の基本的な営みに目を向けるようになったという石川さん。一条さんとの意外な共通点も。
一条さん 先生が煮込み料理とウェルビーイングを紐づけて考えるようになったのは、コロナ禍がきっかけだったと伺っています。
石川さん そうですね。それまではあまり注意を払っていなかったんですが、100年や200年先でも続いているであろうベーシックな営みがウェルビーイングと近しいのではないかと。
宝くじが当たるとか、豪華な別荘を所有するとかスポット的なことではなく、日々の衣食住とか、もうちょっと基本的なことからウェルビーイングを考えてみようと思ったんです。
たとえば、土を作ってそこで食物を栽培し、料理して食べて、堆肥からまた土を作るということ。
この一連の営みがひとつのベースになるのだろうという考えから、最近は土のウェルビーイングについても考えるようになりました。「土のウェルビーイングなくして、人のウェルビーイングなし」とでもいいますか。
そこで今、米を作っているんです。きっかけは、キャンプ場でカレー用の米を炊いているときに「この米ってどうやってできるのだろう?」と疑問に思ったことでした。
一株の稲でだいたい茶碗一杯分の米ができるらしいんですが、今ではそれを具体的にイメージできるようになりました。そうしたつながりがわかることで、理解がさらに深まるというか。
一条さん わたしは新潟出身で、田植えや稲刈りをずっとやっていたので、よくわかります!ゴールデンウィーク前は学校や部活を休んで田植えをして、9月半ばになると家族全員で稲刈りをして…。
うちは養豚と養鶏もやっていたので、稲刈りしたあとの藁を干して乾燥させて、冬にはその藁で豚が寝ているのを見ていました(笑)。「これがみんなのごはんになるんだから、ちゃんと植えなきゃいけないよ」とよくいわれましたね。
実家では堆肥も自分の家で作っていました。作った堆肥を祖父と一緒に耕運機で運んで畑にまいて…。
実はそんな環境で育ったことが私のコンプレックスだったんです(笑)。でも、それこそ石川先生がおっしゃる「土のウェルビーイング」ですよね。
カレーをライフワークにするようになった今、土や農作物を作る機会があったことをよかったと思えます!
04カレーはフューチャーレシピ!?
カレーの魅力は煮込むことだけにとどまりません。おふたりが語るカレーの可能性とは。
石川さん 世界各地のレシピを分析してみると、大きく3つの文化圏に分けられることがわかったんです。西洋はフレーバー、香り重視。日本も含め東アジアはどちらかというと、うま味重視。そしてインドはスパイスがベースなんです。
一条さんがされているのは、世界各地にある香りとうま味とスパイスを組み合わせることなんじゃないかなと思うのですが。
一条さん すごい、その通りです!話を聞きながら心のなかでうなずいていました(笑)。
石川さん だからこそ、カレーはダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(社会的包摂)の象徴であり、フューチャーレシピ、未来のレシピと呼べるものなんですよね。人の移動が進み、食材がこれだけ流通するようになったのは最近のことなので、ほとんどの食材やスパイスの組み合わせってまだ試されてないんです。
カレーにとって、今はまだ大航海時代といえるかもしれませんね。
一条さん まさにおっしゃる通り!香りとうま味、そしてスパイスをどう組み合わせたら、どのバランスだったらおいしくなるかを常に追求して、いろんな料理で表現しているんです。
今回、先生にお出ししているのはシンプルなチキンカレーなんですけど、インドカレーの作り方でも西洋料理の作り方とも違うんです。小麦粉は使わず、玉ねぎとトマト、ヨーグルト、スパイスを使って煮込みました。
カレーを作るにあたって、自分が今まで培ってきた経験を全部組み合わせて、全然違う料理のエッセンスも入れています。
石川さん 深みのある味わいで、すごくおいしいです!どんなスパイスを使っているんですか?
一条さん クミン、カルダモン、コリアンダー、ターメリック、チリペッパー、ブラックペッパー、それと味の素社さんの「ほんだし® かつおとこんぶのあわせだし」を使っています。風味の異なるうま味成分をかけ合わせることで、おいしさを引き出したカレーですね。
石川さん カレーはすごく柔軟性がある料理ですよね。インドではずっと同じものを食べているようなのですが、日本でいうインドカレーは、日本人が食べやすいように手をくわえられています。
食べものに限りませんが、日本人は輸入したものを進化・変容させることが得意なのかなと思いますね。
05煮込み料理のコツは、足すことではなく引き出すこと
カレー作りの幸福な瞬間について語る一条さん。おいしさを「引き出す」煮込み料理ならではのよさとは?
一条さん 私はカレーを作っているとき、いつも幸せなんです(笑)。カレー作りには、玉ねぎを炒めあげてフライドオニオンを作る作業があるんですが、煮込む過程でがんばって炒めた玉ねぎたちがすっかり溶け込んでソースになっていく感じがたまらなくて…。
何千回も作っていますが、いつも幸福だなあって感じます。炒めるといっても、玉ねぎにはほとんど触らないんですよ。
石川さん 触らない?それは弱火だからできることなんですか?
一条さん というより、あえて断面を焦がしています。メイラード反応といって、焦がすことで玉ねぎがぐんと甘さを増すんです。
つい触りたくなるけれど、じっと待つ。料理の難しさを実感しますが、それがまたたまらないんです(笑)。
石川さん たぶん人の体と同じで、触りすぎると食材が傷むんでしょうね。
一条さん わかるかもしれない!スパイスもたくさん入れれば、入れただけおいしくなるわけではありません。人の体も栄養を入れれば入れるほどいいってわけではないですから。
石川さん 味を足すことと味を引き出すことは、違うことのような気がしています。僕はラタトゥイユから煮込み料理をはじめたんですが、塩を最初に入れてから玉ねぎを炒めたときと、炒めたあとに入れたときとでは全然違った味になったんです。
炒めながら塩を入れても、塩味が足されるだけ。火を入れる前に塩を入れることで水分が抜け、素材の味が引き出されたのかなと思っているのですが、こんなにも違うのかとびっくりしたのを覚えています。
06不安なときこそ、カレーを煮込んで
「どんな人にカレーを作ってほしいですか?」編集部の問いに、それぞれが出した答えとは。
一条さん 私は、不安を抱えているときにこそカレーを作ってほしいなと思います。落ち込んでいるときは、料理をするのも嫌かもしれませんが、そういうときこそ、自分で作ったごはんがおいしいと、幸福感になって自分に返ってきてくれます。煮込んでいる時間は、ゆっくり現実と向き合うこともできますから。
石川さん カレーは煮込み料理の中でもとくに象徴的ですよね。今は生きているという実感が得られにくい時代ですが、自分で料理している人はその実感が得られやすく、将来に対する不安も少ないことがわかっています。
普段あまり料理をしない方やお子さんにもぜひ作ってみてほしいですね。米や野菜がどこから来てどこに行くのかにも意識を向けてほしいと思います。
煮込むことが、心を整えたり、幸福感を得ることにつながったりするというお話には驚きです。
時間をつくって、食べる人のことを想いながらじっくりカレーを煮込む…。ウェルビーイングを実現するための手軽なアイデアとして、みなさんも暮らしの中に取り入れてみてはいかがでしょうか?